控訴審傍聴その他

昨日のことだが、群馬の森朝鮮人追悼碑訴訟控訴審の傍聴のため東京高裁まで足を運んだ。抽選の結果傍聴券を手にした。審議は午後2時から、被控訴側の付帯控訴の意見陳述だけで、正味1時間程度で終了。被控訴側は、和解に持ち込むために周到な準備を重ねているように感じた。次回は11月2日の予定。

傍聴中に高麗博物館から電話をもらっており、折り返し電話したが、14日の金曜のボランティアの件。了承する。その後再度電話があり、理事にならないかとの勧誘。14日の理事会にオブザーバーとして出席したうえで考えてほしいとのこと。前向きに検討したい旨返答した。

昨日、今日と寄り添い型学習支援の指導にあたったが、いずれの生徒も発達課題を抱え、離席、姿勢崩壊、学習と休息時間のめりはりなど、学習支援以前の問題が目立つ。発達障害の理解とそれに応じた指導のノウハウが求めれているように感じる。困窮世帯への学習支援だが、家庭の教育力の弱体化という課題も潜在しており、発達障害ではなくてもそれによく似た傾向、たとえば中学相当で当然身に着けていなければならないソーシャルスキルの欠損などがみられる生徒も多いと感じる。もちろん、発達障害そのものが疑われる生徒も相当数存在すると思われる。運営側でその点をしっかり把握して、生徒の状況に応じた指導体制をIEP形式で確立するのが急務と言えるのではないか。

先週から読み始めた、ブルース・カミングスの『朝鮮戦争の起源』に圧倒されている。まだ第一分冊の三分の一ぐらいまでしか、読み進んではいないが、朝鮮戦争の起源は日本の植民地統治に尽きるというのが、目下の感想。日本帝国主義からの解放者を錯覚させたアメリカ軍が、「左翼勢力」排除の為に旧親日派の官僚、警察、軍の人材の登用を推し進めた結果、独立と改革を推進しようとする勢力との間に分断を生じさせ、それが朝鮮戦争の遠因となったというのが、ここまで読んできての自分なりの理解である。論の展開と言い、史料の的確さと言い、また皮肉とエスプリを利かした文章の妙と言い、学問の力を感じさせる大著である。