1987、ある闘いの真実

韓国映画「1987、ある闘いの真実」を観てきた。1987年と言えば、韓国では全斗煥軍事政権が朴正熙開発独裁を引き継ぎながら、反共を国是とする強権政治を発動しつつ、オリンピック開催を前に国威の発揚に余念のなかった時代。日本がまだバブルの只中にあったころだ。

映画は二人の大学生の死(拷問死とデモ弾圧による死)という史実に基づきながら、検事、新聞記者、刑務官など不正を肯んじない個々の行動が、民主化を目指す活動家や宗教者の手を経て、大きな大衆行動のうねりへとつながっていった様を描き出す。文政権の登場が光州抗争を描いた「タクシー運転手」に引き続き、民主化抗争をテーマとする作品を促しているのだろう。

しかしこの映画は、かつての韓国政府が「国是」としてきた「反共」を支えた情念の所在を垣間見せようとしているようにも感じられた。治安警察の長が脱北者であり、解放時金日成の一派を名乗る勢力から一家を惨殺された体験を有するという設定は、事実に基づくものであるか否かはわからないが、済州島の四・三抗争の際に横暴を極めた西北青年団成立の背景とオーバーラップするものがあるだろう。

映画に登場する治安警察の一室の壁一面に貼られた、金日成金大中、そして多くの活動家の顔写真をつなぐ系統図は、反共勢力が彼らに敵対する(と思い込んだ)者たちを「パルゲンイ」の一語のもとに断罪する発想を見事に視覚化しているように思えた。「あいつは敵だ。あいつを殺せ」という政治原理を先鋭化させ、暴力的に現実化していく存在は、ある種の怨念を支えとしていると言えるだろう。治安警察の長は、拷問に屈しない抵抗者や自分の部下にさえも、その家族の安危を仄めかしながら恫喝をかけていくのだが、その時彼を突き動かしているのは、かつて家族を惨殺された自らの体験に他ならない。実際、それを拷問の際に家族の写真を見せながら語りさえするのだ(そのことによってはじめて我々は彼の背景を知りうるのだが・・・)。

李承晩以来、韓国の反共政権を成り立たしめてきた暗部には、このような存在があったのだろう。それは、独裁体制下の暴力装置であったばかりでなく、ある一定の歴史的経験を経てきた人々のルサンチマンが形作る暗い渦の一部でもあったのではないのか。

そして、日帝による植民地支配と解放、分断、内乱という歴史過程の中で、反共の怨念が増幅され、強度を増していったのだとするならば、日本の植民地支配の罪深さを改めて思い知らざるを得ないのである。