吉野作造と朝鮮

昨日は、水道橋の韓国YMCAで行われた大田哲男氏の講演「朝鮮独立運動と日本の知識人─吉野作造を中心に」に参加した。民本主義の本格的な提唱が、吉野の朝鮮・満州への視察と軌を一にしていること、関東大震災時に吉野も大杉栄らの社会主義者同様のターゲットにされかねない状況もあったらしいこと、組合協会の朝鮮人への布教計画に朝鮮総督府の機密費が提供され、吉野をはじめ良心的なキリスト者がそれに抵抗を示していたこと等、興味深い事実を知らされた。宮崎滔天が吉野の講演会の熱気を伝えるレポートを上海の新聞に寄稿していたり、上海臨時政府発行の独立新聞に記事が出ていたり、と吉野とつながりを持つ様々な人脈が垣間見える指摘もあったが、それ以上具体的に踏み込んで話されなかったのは、時間の関係もあってのことなのかとは思うが、いささか物足りない面もあった。

会場からは吉野とつながりのあった金性洙や宋鎮禹などの人物が、民族主義右派と目されることから、吉野の思想的な位相をどうとらえるかという問いかけもあったが、これに対しても明確な判断は難しいという答えだった。吉野自身は、当時の状況の中で当面の課題に対して精一杯の提言を行っていたわけで、また吉野と接点を持ちえた留学生の階層(恐らくは旧両班や富裕地主などの出身)から言っても、社会主義者を含めた人脈に接触する可能性は低かったということだろう。あるいは、それを公にするのを憚ったということも言えるだろうか。

吉野の主張が、植民地主義そのものへの否定に踏み込んでいないという点での批判は相当数あるのだと思う。これをどうとらえるか。日本の知識人の植民地認識を丹念に対象化する努力を重ねていかなければと思うが、その意味でも吉野の論文を読み込んでいこうと思った次第である。