猛暑のなか、高等学院の授業再開。真面目に全員出席。3年生の自覚のなせる業か?夏休み前の最後の授業での課題を提出してもらったが、こちらの意図が理解されていないのがはっきりわかる。他者の立場を想像し、思いやって書く、というのが苦手なのか。主観を保留する訓練が足りないからか。性善説はダサく、性悪説がカッコいい、というような性向も見え隠れする。指導上の課題がまた新たに見えてきた。

初沢亜利さんの写真集『隣人、それから』を見せつつ話をしたが、こちらにはかなり関心を見せてくれた。この世代には、揶揄の対象としての北という先入主が色濃くみられる。しかし、写真を通してビジュアルに触れる「北」はまた違った認識を促してくれることだろう。

川崎市に「人種差別撤廃条例」の制定を求める署名の呼びかけの周知を、藤沢Yの館長に依頼。快諾してもらう。バーターで、チャリティーウォークの依頼を受ける。ボランティアで、つまりノーペイでということ。また、学校訪問への助力を要請される。これもイエス

古関彰一、豊下楢彦共著の『沖縄 憲法なき戦後』を読み始める。読み応えのある本だ。

先週から、明治150年について、講演等に参加しながら、自分なりに考えている。

明治150年は、植民地帝国主義の150年。植民地帝国主義国家のデザインは、直接的にはいわゆる「欧米列強」をモデルにしたが、そもそも日本の歴史自体に植民地帝国を目指す傾向を発芽せしめるDNAが内在していた。その点では、1879年の「琉球処分」(「処分」という言葉は明らかに不適切だが)が注目される。軍隊・警察の暴力を背景に受け入れを迫る手口が、朝鮮に対するそれに先鞭をつけたかっこうとなっており、その後薩摩閥の県令が専横を極める統治形態は、慶長年間の薩摩の入寇に淵源を持つ。薩摩入寇が、秀吉の朝鮮出兵の余波だとすれば、この辺りから日本の歴史に潜む怪しげなDNAが見出されるのではないか。世界史的には、ちょうどスペイン・ポルトガルをはじめとする初期植民地主義の時代と重なるわけだ。(この世界史云々は、土曜日に聞いた慎蒼宇氏の指摘)

このDNAを自覚化することで、植民地主義清算のとっかかりが作れないだろうか。