関東大震災時朝鮮人虐殺

先週末の9月1日土曜日、横浜久保山墓地の関東大震災朝鮮人虐殺95年神奈川追悼大会にボランティアとして参加した。雨が懸念されたが杞憂に終わり、式は滞りなく終了。神奈川朝鮮中高級学校の生徒による合唱や在日の舞踏家の慰霊の舞、各団体からのアピール等で構成された式は、160名あまりの列席者に深い感銘を与えたと思う。夜は韓国YMCAでの講演会にも、と思っていたが、疲労と睡眠不足でこちらは足を運ばすじまい。後になって、惜しいことをしたと後悔する。東京をはじめ各地でも慰霊祭が執り行われたが、都知事は今年もメッセージを発せず、歴史修正主義の団体の妨害もあったらしい。

虐殺は、震災後のパニック状態に官民ともどもに陥り、流言蜚語の跋扈が正常な判断さえ行えないような、精神的崩壊状態の中で起こったことは間違いないだろうが、権力者側が、体制転覆の動きへ流動化しかねない民衆の心理を在日朝鮮人への敵意へと誘導していった側面も否めない。加えて、日本人全体がそうではなかったにせよ、サディスティックな陶酔を求めて狂暴化しうる心性を進んで顕在化させていった人間が存在した、という事実から目を背けるわけにはいかない。そして、それが決して過去の特殊な状況がもたらした極端な事例ではないということからも。その心性を受け継ぐ個人や集団が、確実に今の社会にも存在するのだから。